どこまででも行けるから

ちょっとまだ何書くか決めてませんが、真面目なことも、つまらんことも書いていこうと思います。

2年も経てば人はある程度元気になる

 

 

 

どうも、よいちょ仁瑚です。

 

就活解禁されて絶賛苦しみ中ですが、全く別の話を今日はさせて欲しい…!あんまり明るい話でもないかもしれないので、ん~って方は自衛でお願いします。

 

 

 

今日というかは私のおばあちゃんの命日です、2年前、私が大1の時に亡くなりました。

実はって話なんですけど、おばあちゃんは100%とは言えないけど99.9%ぐらいな感じで自らという形でした。

 

その年の年明けぐらいからおじいちゃんが転んで骨折とかになって、入院という状態だったんですよね、おじいちゃんとおばあちゃんは有り得ないぐらい仲が良くて(一緒にお風呂に入るぐらい)(マ?)、おじいちゃんのことがおばあちゃんはめっちゃ好きで。

おばあちゃんどうやら1回鬱?みたいなのになったことがあるらしくて(原因はよく分からん)、あんまりメンタルは強くはないんですよね、私がおばあちゃんと話したりしてた時にも、私が高校に受かった年には「おばあちゃん、もうこれで後悔なく死ねるわ!」と言ったりしてたし、多分心配性だったりするから根がそういう感じなんだと思う知らんけど(おい)(我が母も似てるからなんだかもう遺伝)。

だからおじいちゃんが1月年明けに入って入院しちゃったときからもうめちゃめちゃ泣いてて、電話してても泣いてるときあって、寝れないとか言ってて、週1ぐらいで電話してたんですよね。

これがそもそも2022年なんですけど、コロナでおじいちゃんおばあちゃん家に毎年春夏行くのに行けてなくて、この年はお姉ちゃんが「絶対行った方が良い」って言って行く予定だったんですけど、そのちょっと寸前に訃報って感じでした。

 

この頃バレーサークルとかでめちゃめちゃ忙しくて、電話出来なかったときとかもあって、おじいちゃんおばあちゃん家に行くのも調整って感じで、今思うと、もっと早く自分だけでもお金払ってでも行けば良かったなって思ったり、電話ももっとしておけば良かったなって思ったり、何が正解だったかは全く分からないけど勝手に後悔することがたくさんあります。だからこそ今は残業だったりが少なくてって会社目指してるんですけど(繋げていくゥ!)。

 

おじいちゃんもすぐこの後5月に急に容態が悪化という感じでした。なんかこういうのを見てると凄いなって思います。こんな一気に2人共で、多分運命とか生死とかなんか色々あるんやろうなぁと思いました。

 

ちなこの後おばちゃん家のワンちゃんもって感じで、この年の前半ちょいぐらいはマッジで凄かった。

おばちゃんがおばあちゃんが亡くなったときの第一発見者だったんですよ。今も力強くいらっしゃるのを見るとマッッッジでスゲェ…以外の感情が無いです。自分もそんな感じの人間になりたい。

 

亡くなったのを知ったのは、バレーボールサークルの大会中でした。母から何度も電話が来ていて、掛け直したらめちゃめちゃパニックになってる母がいて、泣き叫んでて、怖くなっちゃったのを覚えています。私も膝から崩れ落ちて泣きました。頭の中が正直めっちゃパニックで(もちろん早退なんだけど、上下関係厳しいのに慣れ過ぎて早退出来るのかな…と不安になった(そこだけ正常なのやめい))、冷静ではあったんだけど乖離した感情がそこにある状態でした。ちなその日学生証を落としてたらしくて、交番にも寄った(こんな日に何してんの)。

泣き過ぎてマスク濡れすぎて、マスクとティッシュを買って(なぜか写真撮ってた)(記録に残している場合ではない)家に帰りました。

 

姉は割と泣かないタイプだから割と大丈夫だったんだけど、母はもうメンブレの権化、ヒス親全国代表って感じだからもうやばかったですとりあえず。まあそうなるよなって話はあるんだけど、まあ大変そうだった。そこに空気の一切読めない父がいて(略)。

 

この後は法事で田舎に行って、が何往復も何回も続くことになる年でした。

これ以降、母が自らの年齢を気にするようになって「死ぬまでにやっときたいことをやっておこう!足腰大事だから運動しよう!」とかするようになりました。娘としては心配だし、もし自分が結婚して、父母が離婚して、母が1人になったらどうしよう…の感情は強くあります。まあけど図太く生きていくんかな、なら勝手にどうぞの気持ちなんだけど(失礼)。

 

 

 

私にとっておばあちゃんは結構何よりの味方でした。私の母とか姉とかとは違って「仁瑚ちゃんは頭も良いし」とか言って、めちゃめちゃひいきしてくれる存在でした。多分というかほぼ絶対、私の母は姉の方が好きで(お人好しだもんネ!)、父も分からんけど多分そうで。私は基本的に何しても素直に真っ直ぐ生き過ぎているせいで、なんだか損することが多いし、嫌われることもあるし、仲の良い友達はたくさんいるんだけど、世の中ってずる賢いなって思うことが多くて、何だか寂しいなと感じることが多いタイプです。なんだけど、おばあちゃんは私のことを1番って感じで接してくれてて、本当に心のよりどころでした。

普通に今ももちろんめちゃめちゃ寂しいし、後悔もあるし、自分には100%の味方はいないのかもな~と思うことは多いけど、なんだかんだ2年経つとカモフラージュされていくものなんだなとも思います。

今日だってそもそも気付いたきっかけは「懐かしい写真見てみよ~2年前とか何してたのかな~」だったので、え、これも運命…?(なんでもかんでもくっつけないで)

 

大1の3月の話だったので、その後の5月とか授業とか諸々大変だったし、何よりメンタルがぶっ潰れていました。よくあの1年は生きたなと思います。高1の1月にアキレス腱断裂したときは心底死にたいと思っていたんですけど、それと同じぐらいきつかったです。でもそれ以上に、私がしっかりしないと、しっかりしているように見えて姉も若干母に似ているからこの家族が終わる、という意識がありました。よくしっかり生きたよアンタ。

 

けど気付けば2年も経っていて、とりあえずは今はただシンプルに普通に元気だよって話です。味方がいたら嬉しいけど、おじいちゃんとおばあちゃんだけでも良い気がする。私は120歳まで生きるつもり満々なので、残り99年の人生だし、多分今生きてる家族も友人も見送ることになりそうですが(偉そう)(どこからの自信)、残念ながらギネスをもらって何かに自分の名前を刻んでからじゃないと死ねない。ということで、今後も元気に生きさせてください(懇願)。