どこまででも行けるから

ちょっとまだ何書くか決めてませんが、真面目なことも、つまらんことも書いていこうと思います。

拝啓自分へ 卒業おめでとう、頑張って生きれて偉かった

1年が始まって80日目!!!

 

 

 

どうも、よいちょ仁瑚です。

 

卒業したんですけど、今まであんまり校風が合っていなかったんじゃないかなとか思っていた高校がなぜか急に寂しくなりました。

多分今日のブログは今の私の感情を書き並べているだけなのでごちゃごちゃですがお許し下さい(いつもだよ)。

 

卒業式中にBGMとして最初の曲にいきものがかりの「ありがとう」が流れたんですよ。この曲って2年前に私が足の怪我をしていなかったら卒業式のBGMとしてピアノで弾く予定の曲だったんです。別に私のことを思って流して下さった訳じゃないと思うけど、その時点で急に色々なことを思い出して泣きそうになりました。

怪我をして心底しんどかったこと、部活で仲間割れをして板挟みになったこと、行事の実行委員になったのにコロナで行事が消えちゃったこと、成績が足りなくて第1志望の進路には進めなかったこと…。

中学校までの学校生活は基本的に「楽しい」という要素で構成されていて、そりゃあそれなりにゴタゴタとかあったけど楽しかったんです。でも高校は「楽しい」というよりも「苦しい」とか「しんどい」「辛い」という感情が勝っていることの方が多くて。私の記憶の大半がその類のものです。

中学生の時の私はこんな風な高校生活を送るとは思ってもみなかったし、先輩方は本当にキラキラして見えたけど私はキラキラしているようには見えなかったし、本当に自分の選んだ高校が正解だったのだろうかと考えるともしかしたら「NO」かもしれないです。だけど、この高校3年間ではメンタルが鍛えられたような気がします。

 

怪我をした時は本当にしんどくて、今でも思い出すたび涙が出ます。元々泣き虫だったのですが、中学ぐらいからは卒業式ぐらいでしか泣かなくなっていました。そのはずなのに、高校に入って怪我をしてからまた泣き虫に戻ってしまいました。笑笑

怪我がある程度回復するまでの約半年間は本当にこの世の底を見ている様な気持ちで、心が汚くて、ぶつかってくる人なんか死んでしまえば良いのにぐらいの気持ちでした。今考えるとただのやばいやつなのですが…。毎晩泣いていたし、週1回ぐらいは本気で「死にたい」と思っていたと思います。こんなにも優しくない世界で生きていかなきゃいけないなら死にたい。後にも先にも本気で「死にたい」と思ったのは怪我の時だけです。

 

私は高校生活の1/6を松葉杖で暮らしていたし、高校生活の1/3は通院していたし、部活で活動した期間の1/4以上は怪我で参加出来ていませんでした。

 

 

最終的には卒業式で泣いた私でしたが、寂しかったという感情で泣いたわけじゃない気がするんです。しんどかった期間がこんなにもあるのに、何で涙が出るのかが私にはあまり分かりませんでしたが、考えてみるとこれは悔し涙なんじゃないかなと思います。コロナで高校3年生は学校に全然行けなかったけれど、それ以前の高校1年生とか2年生の1/4を松葉杖で過ごして、友達が遊びに行っていても全く自分は外に出れなくて苦しかった。

でも怪我をしたのは紛れもない私であって、誰のことも責められないんです。だって私がいけなかったんだし。

 

でも、それでも、私は私のことを褒めようと思います。あんなにしんどかった高校生活、よく頑張れた、よく死ななかった、あんたが頑張って生きていてくれたから今の私はもうちょっと幸せそうに生きられてるよ。